一目貴女を見た日から 9

305ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 19:46:37.17ID:6j7dmJA2

◇◇◇ 

じりじりと熱気を放つアスファルトに打ち水を終え、ついでと郵便受けを覗く。 


ダイヤ「んー…あら?」 


よく見る営業チラシに紛れて、一通の葉書。 

どうにも公的なものに見えないそれは、なんと消印すら捺されていない。 

それもそのはずで。 


『ダイヤちゃんへ 

今日は同窓会なので、忘れずに来てね! 

千歌』 


要約するとそんな旨のことが可愛らしい色と筆跡で綴られている。 

昨晩か今朝のうちに、わざわざ投函しにきてくれたということなのだろうけれど… 


ダイヤ「あの子はなにか、昔からわたくしのことを勘違いしているきらいがあるわね」 


それでも嬉しくなってしまうのだから、やっぱり人を見抜く目があるのかも――なんてね。

 

306ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 19:47:39.05ID:6j7dmJA2

ルビィ「うゅーー………」グテー 

ダイヤ「ほらルビィ、しゃんとなさい。みんなに笑われるわよ」スッ 

ルビィ「ゅ。なにこれ?」 

ダイヤ「千歌ちゃんからのお手紙よ」 

ルビィ「ぷぷ…おねいちゃん忘れてそうって思われたのかな」 

ダイヤ「断じてそんなことはありません!千歌ちゃんなりの気遣いに決まっているでしょう」 


この春から短大生となったルビィは、今は夏期休暇ということで帰省し、日がな一日こんな調子でだらだらしている。 

以前は厳しかったお母様もルビィが家を出たことが思いの外寂しかったのか、すっかり甘くなってしまったし。 

まったく、本当にきちんと勉強をしているのかしら… 


ルビィ「六時からかー。おねいちゃん今日は?」 

ダイヤ「特に予定はないわよ。午後には同窓会に持っていくお菓子なんかを買いにいこうと思ってるけれど」 

ルビィ「そっかー。ルビィも行くから行くときゆってー」 

ダイヤ「はいはい」

 

307ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 19:48:42.41ID:6j7dmJA2

居間に転がるルビィを放置して自室へ引っ込む。 

同窓会。 

高校生活最後の濃厚な一年間を共に過ごした仲間達と。 

とは言え遠方からの帰省を要する善子さんと梨子さんの予定を最優先としたことで、全員揃ってとはいかなかったけれど。 


ダイヤ「善子さん…」 


思わず口をついて出るその名に、ほうっと口元が綻ぶ。 

彼女が沼津を出てから、そう何度と会えるわけではなくなってしまった。 

前に会ったときから、髪は伸びたかな。身長は変わらないか。 

まだ時間はたっぷりとある。 

少しくらい、想い出に身を寄せても構わないだろうか。 

こんなときは、決まってそうするのだ―― 

────── 

──── 

──

 

308ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 19:49:47.49ID:6j7dmJA2

子ども達のよく通るお喋りの声に、キュ、と音が響く。 

これが我が校の生徒なら、そして私に立場があるならば、一言目は静かになさいと一喝するところだけれど。 

生憎ここは浦の星女学院ではないし、私はただの挨拶者だ。 

私が名乗っただけのことでお喋りをやめてくれればよいのだけど、さて、どうかな… 

と、いうのはどうやら杞憂だったようで。 

壇の中央へ辿り着く頃にはお喋りはすっかり止んでいて、集う視線を一身に請け負う。 

うん、やはり内浦の子ども達はいい子ばかりね。 


ダイヤ「皆さん、ごきげんよう。浦の星女学院生徒会副会長、黒澤ダイヤでございます」

 

309ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 19:50:50.71ID:6j7dmJA2

八月も半ば、照り付ける夏の陽射しが最も強くなる頃、内浦小学校の子ども達が主体となって催される『内浦こども祭り』。 

もうずっと昔から、浦の星の生徒会長が閉会の挨拶を行うこととなっている。 

今年も例に漏れずその予定だったのだけれど、 


――ダイヤ『わたくしが代わりに?』 

――『ええ、ごめんなさい。どうしても外せない用事と被ってしまって、地域の大切な行事だとはわかってるんだけど…だめかな?』 

――ダイヤ『いえ、そういうことならば引き受けるに吝かではありませんが、慣例に反して副会長が挨拶をするなどと、皆さんが受け入れてくださるかどうか…』 

――『あはは、そんなことなら大丈夫に決まってるじゃない』 

――ダイヤ『え?』 

――『この内浦に住んでて、黒澤さん家のダイヤちゃんが前に立つことを受け入れられない人なんか一人もいないわよ』 


…との見立て通り、長年続く家のおかげで、現生徒会長に代わり私が挨拶者を務めることに異論の声は聞こえてこなかった。

 

310ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 19:51:52.41ID:6j7dmJA2

形式的な挨拶を終え、自分の言葉を紡ごうとしたとき。 

最前列に座る千歌ちゃんと曜ちゃんを見付けた。 

こういうときは決まって最前列に並んでくれるのよね。 

それでいて安易に手を振ってきたりもしないのだから、いい子達ばかりの内浦で、中でも抜群にいい子なのはあの子達に違いない―― 


ダイヤ「……!」 


子ども達に並んで膝を抱える千歌ちゃんと曜ちゃん。 

その隣にもう一人、同年代の見知らぬ顔。 

内浦に知らない顔などそうそうないし、ましてや同年代ともなれば有り得ない。 

つまりあの方は内浦ではない、この地域の外から来た方で――――いや。 

あの、方は……… 

◇◇◇

 

311ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 19:52:57.22ID:6j7dmJA2

◇◇◇ 

ダイヤ「改めて。わたくし、黒澤ダイヤと申します。すでにご存知かとは思いますが、ルビィの姉です」 

善子「あ、は、初めましてっ。私は津島善子です、千歌さんと曜さんとはこの間知り合って、ずらららっ花丸とはさっき再会して、て、る、ルビィとは友達になったばっかりですっ」 


微塵も予期していなかった不意の再会から二日。 

事態はとうとう意味がわからなくなっていた。 

あの日私をペンダントのもとへと導いてくださった天使――もとい、津島善子さんが、目の前にいる。 

自己紹介を交わしている。 

どうやら千歌ちゃん達から花丸さんを経由し、そのままルビィと知り合うに至ったらしい。 

一昨日見た表情から察した通り、千歌ちゃん達とも知り合ったばかり、大方いつもの「千歌ちゃん節」に巻き込まれただけのようだ。 


ダイヤ「あら、では皆さんとまだお付き合いは短いのですね。それならばわたくしも遜色なく善子さん達の交友の輪に加わることができるかしら」 


今から築いていく関係ならば、そこに一人くらい加わったって、なにも悪いことはないはずね。

 

312ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 19:54:01.23ID:6j7dmJA2

ダイヤ「今日はどちらから?」 

善子「ぬ、沼津から…バスで…!」 

ダイヤ「まあ、沼津からいらしたのですか。暑い中よく来てくださいましたわ。ゆっくりしていってね」 

善子「ひゃ、ひゃいぃ…っ!」 


すでに他の子達とはある程度お話ししたようで、しばらく善子さんの関心を頂けるみたい。 

それならばこの機会を活かさない手はないと、当たり障りのない話題から少しずつ距離を詰めていく。 

…ところで、どうして善子さんはこんなにも緊張した様子なのかしら?

 

313ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 19:55:02.03ID:6j7dmJA2

様々な話を交わしているうちに、やがて、善子さんに変化が見られた。 


ダイヤ「さ、先ほどルビィが言ったことは気にしないでくださいな。わたくしだっていついつでも気を張っているわけではありませんから、ああいう失敗だってたまには…」 

善子「……え、ルビィ?失敗?ごめんなさい、ちょっとぼーっとしてて聞いてなくて…」 

ダイヤ「ああいえ、それならばよいのです」 

善子「うう…せっかくお話ししてるのに、私…」 

ダイヤ「突然色々なことを話してしまったせいね。こちらこそ気が利かなくて、わたくしが呼ばれたのは確か――」ゴソ… 

善子「…………かくなる上は…」ボソッ 

ダイヤ「はい?なにか言いましたか?」 


もう少し話していたかったけれど、そもそも私がこの場に呼びつけられたのには理由があって。 

問題集を差し出そうとしたところで、 


善子「ギランッ!」バッ 

ダイヤ「!?」

 

314ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 19:55:59.54ID:6j7dmJA2

善子「我が得た情報によれば、あなたはこの地を統べる者の末裔だとか。この堕天使ヨハネに取り入ることで神々の力を奪おうとしているのではあるまいな…?」フッ 

ダイヤ「………だ、てん…し」 

善子「…あの、コホン…人間というのは姿かたちに捕らわれるものだからな。人間界へ紛れるにあたっては、その、形から入る方がいいかと思いこうして人間と同じ風にゴニョゴニョ……」// 

ダイヤ「…なるほど!」 

善子「へ?」ビクッ 

ダイヤ「なるほど、なるほど…堕天使…」 

ダイヤ「そうですかそうですか、そういうことでしたか…!」 

善子「え?はい?どーゆーこと…??」 

ダイヤ「天使ならぬ堕天使であれば、黒装束に身を包んでいるのも納得できるものね」ウンウン 

善子「えと、そりゃまあ……」 


きょとんと呆ける善子さんに、うんうんと頷いて見せる。 

自分から話題を振っておきながらこちらが同意したら困惑するとは意味がわからないけれど、とにかく、これで私は腑に落ちた。 

あの方は、善子さんは――堕天使だったのね。

 

315ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 19:57:00.52ID:6j7dmJA2

ダイヤ「堕天使ヨハネ、ですか。ヨハネさんとお呼びしても?」 

善子「も…もちろん!ふふ、さっそく我の真名を口にするとはよい心掛けね!」 

ダイヤ「ヨハネさんはなぜ浦の星へ行こうと?」 

善子「く…ククク、それは冥界からの囁きにより決したこと…!」 

ダイヤ「冥界…うふふ、運命ということですか。素敵ですわね」 

善子「運命、そう…これは運命よ。我とここに集うリトルデーモン達の数奇なる運命によって導かれたことなのです!」 

ダイヤ「ええ、そうね。きっとそうですわ」 


それから善子さんは熱心に勉強を続け、果てには花丸ちゃんをも凌駕するほどの理解度を有して浦の星の入試に挑み、無事――私達と学窓を共にすることとなったのよね。 

◇◇◇

 

316ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 19:58:02.23ID:6j7dmJA2

◇◇◇ 

あれは善子さんが入学して、まだひと月も経たない頃だった。 


「今日はここまで。来週は本文の読解に進むので予習をしておくように」 

ダイヤ「英熟語の表現はイメージと結び合わせることで理解しやすくなるわね。帰ったら本文中の熟語表現を重点的に予習するとしましょうか………ん?」 


復習と予習のポイントをまとめていると、ふと窓の外に違和感を覚える。 

視線を移すと、…むむ。あれはどうやら遅刻生徒、しかも一年生のようね。 

ふてぶてしくも一限目が終わると同時に登校してきたようだ。 

貴重な休み時間を割かせないでほしいのだけど、気付いてしまったものは無視できない。 


果南「あれ、ダイヤどっか行くの?」 

ダイヤ「ええ、少し。二限目が始まるまでには戻りますか――ら……んん!?」バッ 

果南「あ、ダイヤぁ!次、教室移動だからねー?」 


そんな果南さんのお声掛けに返すことも忘れて教室を飛び出す。 

ああ、なんてこと…まさかよりにもよって……

 

317ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 19:59:02.29ID:6j7dmJA2

ダイヤ「津島善子さん」 

善子「ぃひぃぃっ!!?」ビクッ 

善子「…ぁ、ダイヤ…驚かさないでよ。その…おはよう、偶然ねこんなところで会うなんて…」ススス… 

ダイヤ「職員室はそちらではありませんよ?遅刻屋さん」 

善子 ギクッ 

善子「…な、なんのことかしら。私はちょっとコンビニに行ってきた帰りで…」 

ダイヤ「それも校則違反です」 

善子「ぅ」 

ダイヤ「だいたい最寄りのコンビニまで往復どれだけ掛かると思っているの」 

善子「うっ」 

ダイヤ「加えて、コンビニへ往復するのになぜ通学鞄を持っていく必要があったの」 

善子「うううっ」 

ダイヤ「おとなしく白状なさい」 

善子「ご………ごめんなさぁぁーーーいっ!」 

……………… 

………

 

318ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 20:00:01.30ID:6j7dmJA2

善子「失礼しまーす…」 

ダイヤ「いらっしゃい」 


同日、お昼休み。生徒会室。 

本来ならば無用の生徒が立ち入って、ましてや昼食の場にしていい部屋ではないのだけれど。 

生徒会指導の名目であれば、それを咎められることもない。 


ダイヤ「お昼ご飯は持ってきましたか?」 

善子「うん」 

ダイヤ「よろしい。さて、昼食を取る前に、なぜ呼ばれたかわかっているわね?」 

善子「…だ、ダイヤもお団子ヘアーにしたくなったけど自分じゃできないから私に」 

ダイヤ「遅刻の件です」 

善子「ハイ…」 

ダイヤ「それと、お団子ヘアーくらいわたくしでもできます」 

善子「あっハイ…」

 

319ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 20:01:01.38ID:6j7dmJA2

ダイヤ「わたくしが認知したのはこれが初めてだけれど、遅刻したのは何回目?」 

善子「浦女に入ってからは初めてです…」 

ダイヤ「浦女に入ってからは?中学時代にも経験がある、いえ…その物言いは常習犯だったのでは…」 

善子「ぎく…」 


応接用の椅子に座る善子さんと二人。 

本当に話したいことはこんなことではないけれど、立場が、職務が、そうせよと囁く。 

あるいは、自分から誰かをお昼に誘ったことなど初めてで、建前が与えられていることに胸を撫で下ろしているのかもしれなかった。

 

320ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 20:02:01.39ID:6j7dmJA2

蓋を開けてみたら、善子さんの遅刻はやはりそこそこ常習的なもので、それから何度か同じ口実でお昼の時間を共にしては。 

やがて、建前だけの会話など少しずつなくなっていき―― 


善子「それより、ほら。早くごはん食べましょうよ!せっかくのお昼休みがなくなっちゃうわ!」 

ダイヤ「あなたが言うことですか!…でも、それもそうね。食事の場でお説教するのは頂けませんから。頂きましょうか」 


たまに遅刻してほしいなんて願う生徒会長は、いけないコなのでしょうか。 

◇◇◇

 

321ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 20:03:02.68ID:6j7dmJA2

◇◇◇ 

「ごめんなさいね、黒澤さん。帰り際に引き留めてしまって」 

ダイヤ「いえ、構いません。お役に立ててよかったです。それでは、失礼いたします」 

「はい。気を付けて」 


丁寧に戸を閉め、一息ついてから。 

下足室まで駆け足で向かう…ものの、すぐにスマートフォンを取り出して、その速度を落とす。 


ダイヤ「さすがに間に合わないわね…」 


となれば無用な駆け足は事故の原因となりかねないだけの危険な行為、気の焦りに任せて続けるのは愚行と言える。 

いっそ、という気持ちでこれ見よがしの牛歩で行く。 

…これはあまりに子どもっぽいかしら。

 

322ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 20:04:00.40ID:6j7dmJA2

校門を出たところで、さて、どちらを歩こうか。 

バス停を利用するのであれば整備された道を行くけれど、その必要もないし、やや足元に不安が残る山道でショートカットをするか。 

しかし近道になるとは言え、整備が行き届いていない道を下るのはいかがなものか。 

普段はバスの時間に合わせて学校を出るため、あまり悩むことのない二択に戸惑う。 

うーん…せっかくだし冒険気分で山道を下りてみようかな… 

と、踏み出した瞬間。 


アガァーーー、と奇怪な声が響いて、視界の奥から黒い鳥が飛び立った。 


ダイヤ「………」 


以前にもこんな光景があったような、確かあのときは… 

その思考がしっかりと結論へ辿り着くよりも早く、私の足はその方向へと歩み始めていた。

 

323ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 20:05:00.11ID:6j7dmJA2

――結果的に、大正解。 


ダイヤ「……!」 


遥か坂の下に肩を落とす影は、紛れもない、善子さんだ。 

大方ささやかな不運にでも見舞われ寸でのところでバスに乗り遅れた、といったところに違いない。 

あの後ろ姿が雄弁に物語っている。 

やがて善子さんはとぼとぼと歩き出す。 

下のバス停から出るバスを逃した場合、沼津方面の方々は、確か重須まで歩くのだと聞いた記憶がある。 

まさか沼津まで歩くはずはないので、きっと善子さんも例に漏れないはずだ。 

それならば、それならば… 

心なしか早足になり、私は善子さんの後ろ姿を追い掛けた。

 

324ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 20:05:59.62ID:6j7dmJA2

一声。 

名前を呼べば、きっと聞こえる距離。 

付かず離れずを保ちながら、迷う、迷う、迷う。 

呼んでもいい? 

迷惑がられない? 

善子さんは一人で過ごすのが好きだと言っていた。 

そうでなくとも、とりわけ親しい間柄でもない上級生と二人で歩くなど、誘われれば断れるものでもないだろうし。 

この歩調を少しずつ落としていけば、重須でバスを待つ彼女を追い越すときに何気ない挨拶をして通り過ぎることもできる。 

彼女にとってはそっちの方がいいのでは? 

気まずい思いをしてほしいわけではない。 

名前を呼びたいのも、ほんの数分の帰り道を共にしたいと思うのも、どれも私一人の勝手な欲求で。 

それに付き合わせるなんて――でも、こんな機会は滅多にない――声をかけて、怪訝な表情を返されたら――まずいと感じたらすぐにそのまま追い抜けばいいのでは――だって――私は―――― 


ダイヤ「………っ、」 


ダイヤ「善子さーん」 


勇気を振り絞る、こんな気持ちは――いつぶりのことかしら。 

◇◇◇

 

325ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 20:07:05.45ID:6j7dmJA2

◇◇◇ 

千歌『ダイヤちゃん』 

千歌『今いいですか?』 


夜、自室で勉強をしていると、千歌ちゃんから連絡。 

なぜこの子はラインを介して話すときだけ敬語になるのだろう。 

と言いつつ、やはり慣れていない敬語はできるだけ使いたくないのか、こう切り出してきたときはだいたい電話で話したがる。 


ダイヤ「もしもし、ダイヤです」 

千歌『あ、ダイヤちゃんこんばんは!夜にごめんね』 

ダイヤ「構わないわよ。どうしたの?」 

千歌『あのね、うーん…』 

ダイヤ「………」 


千歌ちゃんは気持ちが先行して行動することが多く、話し始めたはいいものの言葉が続かないということがたびたびある。 

昔からのことなので慣れっこだけれど。 


千歌『スクールアイドルって知ってる?』

 

326ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 20:08:01.60ID:6j7dmJA2

ダイヤ「スクールアイドル…」 

ダイヤ「それはまあ、知ってるけれど」 


特に知識が深い分野でもないが、存在はもちろん知っている。 

昨今どんどん流行り始めているし、かねてよりルビィが随分とご執心だったこともあるし、なかなか無知でもいられない。 

加えて、それはつい先ほどルビィの口から嬉しそうに聞かされた言葉で。 


ダイヤ「スクールアイドルがどうかしたの…」 


と口にしつつ、その実、スマートフォン越しにもわかる興奮を押さえきれない様子に、次に千歌ちゃんが紡ぎそうな言葉の予想はついてしまう。 

すすす、と受話部分を耳から離す。 


千歌『チカと一緒に、スクールアイドルやりませんか!!』 


…ほらね。 

‐‐‐ 

 

327ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 20:09:00.01ID:6j7dmJA2

あれから、返事は保留にしている。 

アイドルの真似事をして歌って踊る高校生グループ。 

いくつか動画を観てみたりルビィに話を聞いてみたりして、なるほど、千歌ちゃんが目を輝かせるのにも頷けるものだと思った。 

曜ちゃんと果南さんは相当に早い時点から巻き込まれ済みで、とうとう先日はルビィと花丸ちゃんも誘われたという。 

ちなみに多くの場合、千歌ちゃんから誘われることは同時に参加することを意味する。 

そして、必然――

 

328ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 20:10:01.55ID:6j7dmJA2

善子「………」カリカリカリ… 


熱心に課題へ取り組む善子さん。 

遅刻の回数が増えてきた頃にはもしかして不良なのではないかと疑ったこともあるけれど、根がまじめなのは昨年からよく知っている。 

話を聞くに、どうやら朝に弱いことと、様々な不運に見舞われる体質が原因のようだ。 

体質というのは認識の問題で、つまりは意識。 

病は気から、ではないが、不運にばかり目を向けていては自らそちらへ近づくことになる。 

よいことに目が向くよう、少しずつ意識を変えてあげれば、きっと『体質』を変えるのはそう難しくない。 


ダイヤ (さて…


本音を言えば、千歌ちゃんの誘いに乗ることは構わないと思っている。 

最近はそこまでお稽古が多くもないし、生徒会長としての執務だって部活動に時間を割けないほどではない。 

なによりも楽しそう。 

ただ、返事を保留にしている唯一の理由は、

 

329し ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 20:10:59.36ID:6j7dmJA2

善子「ねえダイヤ、わかんない問題があるんだけど…」 

ダイヤ「どれ?見せてご覧なさい」 


先日三人揃って千歌ちゃんから勧誘を受けたというルビィと花丸ちゃん、そして善子さん。 

ルビィが前のめりに参加の返事をしたのは予想通りながら、その勢いにつられて善子さん達も入部を決意したと聞く。 

ただし、なんだかんだと言いながらも積極的な花丸ちゃんと比べて―― 


ダイヤ「この『the 形容詞』という表現は口語に近いけれど、覚えておいた方がよいですわね」 

善子「はえ~。ありがと、ダイヤ!残りは頑張ってみる!」 

ダイヤ「ええ」

 

330ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 20:12:07.05ID:6j7dmJA2

私がスクールアイドル部へ入部すると言ったら、善子さんはどうするだろうか。 

本当は、本人がよほど嫌でないのならば部活動には参加してほしい。 

そこには青春を謳歌してほしいという老婆心も多分にあるけれど、それだけではなくて。 

体力不足、遅刻癖、人付き合いへの苦手意識。 

短くない時間を共に過ごしてきて見えてきた善子さんのこれらの点を、部活動――特に運動部ならば解消に近付けることができると思うから。 

みんなが練習に慣れてきたら朝練も始めたいと千歌ちゃんは言っていたし、やや私に依存気味の人付き合いも、あのメンバーの中でなら無理なく拡げていけるだろう。 

これこそ余計な気回しと言われればそれまでだけれど、傍にいられる間に、できることがあるならしてあげたいと思っているのも紛れもない事実。 

そうして一人悶々と考えているうちに―― 


ダイヤ「梨子さんが新たに加わり、部員は六人。アイドルグループとしては、それなりに見える人数になったわね」 

千歌「そーだよ!ここから私達は、輝きを目指してもっともっと力強く走り出していくんだよ!だから、どうかな。ダイヤちゃん」 

千歌「チカ達と一緒に、スクールアイドルを――やりませんか?」 


刻限が目の前に突き付けられ、私は腹を割って話す覚悟を決めた。 

……………… 

………

 

331ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 20:13:00.64ID:6j7dmJA2

善子「なんで、返事しなかったの」カリカリカリ… 

善子「やりたくなかったら、やるつもりがなかったら、返事を保留になんかしないでしょ」カリカリカリ… 


再び二人になった生徒会室、プリントに目を落としてシャーペンを走らせるまま、善子さんの言葉。 


ダイヤ「やりたくない、とは言いませんわ」 


ここまで来れば心根を隠すつもりなどない。 

胸の内を吐露する私と、自責する善子さん。 


ダイヤ「彼女達が――大好きな幼馴染み達がいよいよみんなで一つ大きなことをやってみようというときに、そこに加わりたいという気持ちは確かにあるわ」 

善子「だったら、その気持ちに素直に従えばいいだけじゃない」 

善子「私が毎日ここに来るから、部活に入ってなお顔を出すことなくここに来るから、気を遣わせてるのよね」 


やがて善子さんが導き出した結論は、 


善子「ごめんなさい、ダイヤ。明日からは来ないようにするから、あなたは自分の気持ちに素直に――」 


――そうじゃない。

 

332ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 20:14:00.49ID:6j7dmJA2

ダイヤ「明日からここに来ず、どうするつもりなの?」 

善子「え、っと…それは、どこか…図書室で宿題するか、帰るか…」 


欲しい言葉は、結論は、そうではない。 

遅々として進まない問答に、あっさりと根負けして。 


ダイヤ「部活動に行くという発想はないのですか、貴女に」 


私は貴女に部活動へ参加してほしいし、 


ダイヤ「善子さんが毎日ここに来るのは、わたくしと共に過ごしたいと思ってくれているからなのですよね。であれば、どうですか」 


部活動へ参加したいし、 


ダイヤ「わたくしがスクールアイドル部に参加して練習へ行くのだとすれば、貴女もそうすることで目的は達し得ると思うのだけど」 


それになにより―― 


ダイヤ「それとも、わたくしを含むみんなで一緒に部活動に興じるのでは不満で、やはりここで二人きりの方がよいかしら」 


――と、この問いかけは我ながら悪手だったと後々反省したけれど… 


善子「やりましょう、スクールアイドル部。一緒に」 


そう。 

その答えが聞きたかったのよ。 

……………… 

………

 

333ぬし ◆z9ftktNqPQ (星の眠る深淵)2019/06/21() 20:15:02.78ID:6j7dmJA2

ダイヤ「正式にスクールアイドル部へ入部させていただきます」 

千歌「ほんと!?ほんとにほんと!?やったーーーっ!」 


子どものようにぴょんぴょんと跳ねて純粋な喜びを伝えてくれる千歌ちゃん。 

その後ろでじっと耳を傾けてくれる果南さん以下皆さんにゆっくりと視線を送りながら、 


ダイヤ「ただ、平日の放課後、週に二日は生徒会の公務や私事に割かせてほしいのです」 

ダイヤ「それとね……」 


好意に甘えて、ほんの少しのわがままを混ぜてみる。 


ダイヤ「わたくしが練習に参加しない二日のうち片方は、ヨハネも参加できないわ」 

ダイヤ「週に一度は勉強を見てあげることにしているの。その分、練習の後れが出ていたらわたくしがきちんとお稽古をつけておくから」 


目を見張る善子さんのことはわざと気付かないふりをして。 


ダイヤ「それだけ、受け入れてほしいのです」 

千歌「ダイヤちゃんと善子ちゃんが仲間になってくれるっていうならなんでもおっけいだよ!」 


せっかくの大切な時間を全て返上するような真似は――決してしないんだから。 

◇◇◇