果南「あなたの味」

1名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 02:16:40.32ID:g1mTJt5S

ミーン、ミン、ミン、ミン… 

せみの声がうるさいくらいに響く中。 

日陰、反射する熱。 

もういっそずぶ濡れになった方がマシだってくらい、身体じゅうを伝う汗。 

高校二年、八月。 


私は、初めてキスをした──

 

2名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 02:19:37.63ID:g1mTJt5S

果南「ねー、チカ。キスってしたことある?」 


きっかけは、何気なく呟いたその一言だった。 

本当に、何気なく。 

意味なんか、思惑なんか、なにもなく。 

ちょっと流れた沈黙を破ろうとして言っただけ。 

昨日の晩ごはんの話は、さっき済ませちゃったから。

 

3名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 02:21:55.81ID:g1mTJt5S

チカはぽかんと口を開けて、じっと私を見つめた。 


千歌「き、キス…?キスって、キス?ちゅーのこと?」 

果南「うん、ちゅーのこと。鱚のことじゃないよ」 


私のシャレに気づいたのか気づいていないのか、チカは慌てて瞳を伏せた。

 

4名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 02:26:34.38ID:g1mTJt5S

千歌「ないよ、ないよ…そんな、キスなんて…したことあるわけないじゃん」 


ぼーっと内浦の海を眺めながら、横目でチカの様子を窺う。 

視線をふらふらとさまよわせて、両手をこねこね、両足をぱたぱた、なんだか拗ねたように口を尖らせている。 

穏やかな海面にも太陽の光はきちんと反射して、世界の色を淡くする。 

うぶな反応に、やっぱり可愛い奴だなあ、と内心で頷いてみせる。

 

6名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 02:30:56.46ID:g1mTJt5S

千歌「果南ちゃんは、したこと、あるの…?」 


もじもじ。 

小さな声で、でも、はっきりとそう言った。 

上目遣いをよこすチカ。 

いじらしいね。 

だから私は、もう少しからかってやろうと思ったんだ。 


果南「試してみる?」 

果南「私がしたことあるのかないのか、してみたらわかるかもよ」

 

8名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 02:35:14.13ID:g1mTJt5S

やっと目が合ったかと思うと、チカはほっぺたを真っ赤に染めて、さっと視線をそらす。 

うみねこの声、汽船の汽笛。 

向こうに見える内浦の町は、昼間だっていうのにひとっこ一人いない。 

こんなに暑くちゃ家から出ないよね。 

この調子じゃ、今日はお客さん来ないかな。 


果南「チカ、お昼にしよっか。そうめんでいい?」 

千歌「…………みる」 

果南「ん?」

 

9名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 02:39:10.72ID:g1mTJt5S

千歌「試して、みる」 


あれ? 

なんだか、さっきより、暑くなった? 


千歌「果南ちゃんがき、キス…したこと、あるのか、確認する」 


あ、違うか。 

熱くなったんだ、私が。 


千歌「チカとキスして」 


千歌「果南ちゃんと、キスしたい。」 


そうめんはお預けみたいだ。

 

11名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 02:42:24.43ID:g1mTJt5S

ミーン、ミン、ミン、ミン… 


千歌「こ、ここ、誰も来ない…?」 

果南「うん、来ないよ。お客さんいないし、父さんもでかけてるし」 

千歌「…うん」 


受付小屋の裏。 

水族館からも、下の道からも、もちろん本土からだって見えないように、 

チカを、小屋の壁に押し付ける。

 

12名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 02:46:48.73ID:g1mTJt5S

千歌「し、志満姉がね、言ってた。キスとかそーゆーのは、本当に好きな人とするものなんだって」 


サンダルを踏むだけのかかとを草が撫でる。 


果南「夏休みになってから、チカ、毎日来るね」 


目が合わない。 


千歌「だって、よーちゃん飛込の練習で忙しいし、果南ちゃんずっとここにいる、から」

 

13名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 02:49:26.20ID:g1mTJt5S

涼しげな肩に、手を乗せる。 


果南「夏休みの宿題は進んでるの?」 


びく、と小さな肩が跳ねる。 


千歌「か、果南ちゃんよりは、やってる」 


目は合わない。 


果南「チカ」 

千歌「な、なに…」 

果南「なまいき」 


ミーーーン、ミン、ミン、ミン………

 

15名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 02:53:10.76ID:g1mTJt5S

千歌「果南ちゃん」 

果南「チカ。おはよう」 

千歌「おはよ。今日もこっちいていい?」 

果南「私はいいけど、たまには旅館の方を手伝わなくていいの?せっかくの夏休みなのにさ」 

千歌「夏休みだからだもん」 

果南「まったく」

 

16名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 02:55:30.74ID:g1mTJt5S

果南「チカ。ボンベ出して」 

千歌「はーい」 


よたよたとボンベを運ぶ後ろ姿。 

すっかりうちの手伝いさんになってくれた。 

いいのかなあ、本人が楽しそうだからいいかなあ。

 

17名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 02:58:17.05ID:g1mTJt5S

昼下がりになって、お客さんもはけて。 

遅めのお昼ごはんを一緒に食べて、二人でぼんやり海を眺める。 

お客さんがいない今のうちに、宿題でも見てあげた方がいいかな。 

でも一年前に習ったとこなんて、教えられるかな。 


千歌「お客さんいないね」 

果南「水族館でショーやってる時間だからね」

 

18名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 03:01:56.74ID:g1mTJt5S

果南「ショー観てくる?」 

千歌「いい。何回もみたもん」 


ちょっといじけたみたいな声。 


果南「じゃあ宿題見てあげよっか」 

千歌「果南ちゃん、一年生の勉強わかるの?」 

果南「お?喧嘩売ってるな?」 


なぜか嬉しそうにはにかんで、チカは。 


千歌「チカ、今、なまいき言ったかも」 


ああ、可愛い。

 

19名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 03:08:50.54ID:g1mTJt5S

髪の毛全部取り外して洗っちゃいたいくらい暑い。 

チカの肩だけが少しひんやりしていて。 

力なく、弱々しく、それでもぎゅっと握られた裾。 


果南「そろそろ、私がキスしたことあるかどうか、わかった?」 

千歌「…まだわかんない」 

果南「そっ、か」 


世界で一番熱いのは、交わったこの部分かな。

 

22名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 03:14:52.07ID:g1mTJt5S

夕陽を返す海面に、せみの声が聞こえない。 

潮騒が遠くに響くだけの夕方は、もうそろそろ幕を閉じる。 


果南「宿題は全部終わった?」 

千歌「終わっちゃった」 

果南「珍しいじゃん」

 

23名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 03:18:37.08ID:g1mTJt5S

果南「毎年、チカの部屋の電気がずっとついてるの見てたのに。今年は見れないのか~」 

千歌「むー…うそつき。ここからチカの家なんか見えないじゃん」 


ぶうっとむくれて睨まれる。 

暑さは和らいだのに、首がひりひりする。 


果南「チカ、今年は焼けたね」 

千歌「果南ちゃんもね」

 

24名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 03:21:36.20ID:g1mTJt5S

果南「明日、寝坊しないようにね」 

千歌「起こしにきてくれないの?」 

果南「それは曜の役目でしょ」 

千歌「果南ちゃんが来てくれてもいいじゃん」 

果南「曜の大切なお仕事は奪えないよ」

 

25名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 03:23:15.57ID:g1mTJt5S

千歌「ねえ、果南ちゃん」 

果南「んー?」 


ひりひりする。 

首だけが、真夏の中に取り残されているみたいに。 


千歌「チカね、わかんなかった」

 

26名無しで叶える物語(プーアル茶)2019/06/01() 03:28:29.17ID:g1mTJt5S

千歌「果南ちゃん、キスしたこと、あったの?なかったの?」 


それと、もう一つ。 

唇が、まるで太陽みたいにじりじりと疼いて仕方がない──けれど。 


果南「チカがわかんなかったんなら、教えてあげない」 


夕陽はもう、沈む時間だから。 

この気持ちは、終わる夏休みに、置いていかなきゃね。 

チカは、淋しそうに、嬉しそうに、呟いた。 


千歌「果南ちゃんの、なまいき」 

 

終わり