ルビィ「消せない想いの行く末」 7

190ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 15:30:31.44ID:ak0imI9p

――ルビィ『それじゃ、行ってきます』 


東京へ行く。 

ルビィがそう言い出したのは、彼女が高校最後の夏休みを終えようという頃だった。 

母が言うには、はっきりしない言い方ながらも三者面談では進学するようなことを言っていたようで、てっきり大学へ進むものだと私も思っていた。 

黒澤という家柄、沼津から――もっと言えば内浦から出る選択肢など頭になかった私は、とても面喰らったのを覚えている。 

とはいえ、短大か、大学か…学びの場として一時的に東京へ身を置くというのであれば、それはありふれた選択肢の一つだから、さして驚きもしなかっただろう。 

しかし。

 

191ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 15:32:13.09ID:ak0imI9p

――ダイヤ『就職?!』 

――ルビィ『うん』 

――ルビィ『東京の会社にね、就職しようと思うの』 

――ダイヤ『そんな簡単に…あのね、一度会社に入ったら、そうそう辞められるものではないのよ?』 

――ルビィ『どうして入る前から辞める心配なんかしなきゃいけないの。変なおねいちゃん…』 

――ダイヤ『だって、あなた!』 

――ダイヤ『向こうで就職するってことは、生活の拠点が向こうになるってことで、だから…』 

――ルビィ『うん。もちろんそのつもりだよ』 

――ルビィ『なかなか帰ってこられなくなっちゃうかもなあ』

 

192ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 15:33:57.26ID:ak0imI9p

母と、学校の先生と、何名かの親戚の方々と。 

よもや思いもしなかったルビィの選択に、誰もが口々に真剣さを問い、また心変わりを説いた。 

けれど、意志の根幹が一体なにに寄り添っているのか――彼女は決して首を縦には振らず、手際よく数社の採用試験をこなして、あっさりと内定を勝ち取ってしまった。 

大企業というほどではないにせよ、それなりに聞こえた企業の内定通知書を囲んだのは、十月の半ばだった。 

ここ一ヶ月ほど『楽しい団欒の場』から遠のいていた夕食の席でお披露目されたその報せに、母が覚悟を決めたのが伝わってきた。 

もちろんルビィ自身の意志に揺らぐところなどない様子で、不服ながら、もはや私一人がいくらか喚いたところでなにも変わらないのだと――出せる言葉を失った。 

私が高校を卒業した頃からじわじわと感じ始めていた彼女との距離の開きは、事ここに至ってかなり顕著になっており、それからの半年間ほどは夕飯の席以外で会話した記憶もほとんどなく、そして―― 


――ルビィ『それじゃ、行ってきます』 


腕の中にわずかな匂いを残して、振り向くこともないまま、ルビィは私たちのもとを後にした。 

……………… 

………

 

193ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 15:39:32.28ID:ak0imI9p

――黒澤母『ルビィさんは元気にやっているようですよ。東京はどこへ行くにも電車に乗らなければならなくて、人が多いから大変だとのことです』 

――ダイヤ『そうですか。元気そうなら、なによりですね』 


――黒澤母『この連休には帰ってこられないそうです。繁忙期に掛かるので、入社したてのルビィさんの手でも借りたいほどだそうで』 

――ダイヤ『残念ですね…時期をずらしてでも帰ってきてくれるとよいのですが…』 


――黒澤母『向こうでご友人もできたようで、夏は東北へ旅行に行くのだそうですよ。お盆も難しいのでしょうか…』 

――ダイヤ『わたくしからも聞いてみますね…』 


――黒澤母『ダイヤさん。年末の寄り合いにルビィさんが出られないことを、吉村さんに連絡しておいてくださいますか?』 

――ダイヤ『ええ…わかりました』 


――黒澤母『二十三歳のお誕生日、おめでとうございます…ダイヤさん。大きくなりましたね』 

――ダイヤ『…今年も、この席にルビィはいないのですね』 

――黒澤母『…そうですね』 

……………… 

………

 

194ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 15:41:36.90ID:ak0imI9p

――ダイヤ『回覧板をお持ちしましたよー』 

――『ああ、ダイヤちゃん…いつもありがとうねえ。お茶でも出そうかしら』 

――ダイヤ『お気遣いなく。今日は用事が控えていますので、改めて伺いますわ』 

――『そう。気を付けてね』 

――ダイヤ『ええ。それでは』 


トコトコ… 


――ダイヤ『あら』 

――花丸『ダイヤさん。こんにちは』ペコ 

――ダイヤ『こんにちは。花丸さん…でしたね』 

――花丸『はい。国木田花丸といいます』 

――ダイヤ『昔に見かけたことがあると思いますが、いっそう綺麗になりましたわね』 

――花丸『ええっ、そんな…ダイヤさんにそう言ってもらえるほどのものじゃありませんから…』 

――ダイヤ『うふふ。それこそ嬉しいお言葉ですわ』 

――花丸『………ルビィちゃん』 

――ダイヤ『! ……』 

――ダイヤ『そうでしたね、花丸さんは確かルビィと親しくしてくださっていると』 

――花丸『…今って、少しお時間ありますか?』 

――ダイヤ『え?』 

――ダイヤ『…………ええ、少しなら。車を出しましょうか』

 

195ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 15:45:57.86ID:ak0imI9p

ー松月ー 


――花丸『ルビィちゃん、全然帰ってきてないんじゃありませんか?』 

――ダイヤ『…ええ。お察しの通り。高校を卒業して以来、一度も』 

――花丸『やっぱり…』 

――花丸『実は、私、ルビィちゃんに何度か会ってるんです』 

――ダイヤ『えっ?!そうなのですか?!』 

――花丸『はい。と言ってもこっちでじゃなくて、向こうで…ですけど』 

――ダイヤ『向こうとは、東京のことですか?』 

――花丸『そうです。ルビィちゃん、私とは仲良くしてくれるから…遊びにいったり、泊まりにいったり、何度か』 

――ダイヤ『ルビィはっ』 

――ダイヤ『ルビィは、元気でやっていますか?!』 

――花丸『…っ!元気ですよ。頑なにこっちに帰ってこようとしないこと以外は、ルビィちゃんのままです』

 

196ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 15:46:57.27ID:ak0imI9p

――ダイヤ『そう…ですか。やはり、意図的に帰らないようにしているのですね…』 


薄々そうではないかと、…いや、わかりきっていた。 

いくら多忙とはいっても、数年にわたって一度も帰省しないなど、意図的でなければ有り得ないことだ。 

私も母もわかっていながら、ルビィが言う『忙しい』という言葉を呑み込んでいただけ。 

きっと、あの子の中のなにかが不完全なままになっていて、それを消化するために必死に闘っているのだろう。 

それならば、たかがこれしきの淋しさで、その決意を邪魔するわけにはいかない。 


――ダイヤ『いえ、よいのです。あの子のことだから、なにか考えていることがあるのでしょう。そんなことより、元気でいるのならそれでいい…』 

――ダイヤ『あの子は、もう…最近はろくに連絡も寄越さないで…昔から心配させてばっかりなんだから…』 

――花丸『…ダイヤさん、』 

――ダイヤ『花丸さん。不甲斐ない姉妹で申し訳ありませんが、あの子のことを…よろしくお願いいたします』 

……………… 

………

 

197ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 15:51:12.10ID:ak0imI9p

ルビィの中で不完全になっていること。 

私に心当たりがあるとすれば、やはりスクールアイドルの件。 

幼い頃から二人で憧れてきた夢を、いざこれからという段階に至って、諦めざるを得なくなったこと。 

当時は感情の整理が追い付かず困惑するばかりだったけれど、今になってきちんと考えれば、答えははっきりと出ていた。 

果南さんが察していらしたように、また本人の口からも聞こえたことがあるように、ルビィはただ淋しかっただけ。 

長年最も近くで寄り添ってきた『姉』という存在が、離れ、誰かのものに――あるいはみんなのものになってしまうのではないかという恐怖が、足を竦ませてしまった。 

それだけのこと。 

確かにわずかな悔しさは残っているけれど。 

あなたを縛り付けているものがそれだというのなら、どうか…どうか気付いてほしい。 


――ダイヤ『あなたの笑顔を失ってまで貫きたい想いなど、わたくしにはないのだということに』 

……………… 

………… 

……

 

198ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 15:52:48.07ID:ak0imI9p

やがてまた時は流れ、私の身の回りでもある変化が起こった。 


――ダイヤ『結婚…ですか』 

――黒澤母『もちろん、今すぐに相手を見定めどうこうなさいという話ではありません。ですが、当家の後継について、そろそろ考え始めても遅くはない頃合いでしょう』 


短くない時間を掛けて母と私とで様々なことを考慮して相手の方を選び、交際を始め――そして。 


――ダイヤ『入籍することに、決めました』 


いくらかの距離を経ての交際ではあったものの、母へのあいさつも含めて足繁く内浦へ通ってくださったり、婿入りという形で黒澤家に入ることを真剣に考えてくださったり。 

伴侶として充分に信頼できる相手だと、そう心得た。 

それからは話の進みも速く、とんとんと両家の親交も深められ、式の日取りまであっという間に決まってしまった。 

実妹でありながら、もはや『没交渉』と言ってしまってもよいほどに疎遠であったルビィに、恐る恐る招待状を送り―― 


誰よりも早く出席の返信が返ってきたときには、思わず小躍りしてしまうほどの喜びだった。 


――と、いうのに… 

***

 

199ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 15:54:38.03ID:ak0imI9p

ダイヤ「――ルビィっ…」 


ギシッ 


どうして、私は、今、 


ダイヤ「…っ、ぁぁ……るび、やめなさ…」 


ギッ ギッ 


結婚式を明後日に控えた今、あなたに、 


ダイヤ「だめ、やめて……るびぃ…………」 


ダイヤ「ぃやぁ……っ、それ…もうっ……」 


ダイヤ「――――――――っぁぁあああ!!」 


実の妹に、犯されているのだろう。 

……………… 

………… 

……

 

201ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 16:07:02.76ID:ak0imI9p

スクールアイドルを辞めさせたこと。 

それで、お姉ちゃんに対して後ろめたさを感じていたのは嘘じゃない。 

随分と遅くなったけれど奪ってしまった時間を少しでも返したかったという気持ちも、嘘ではなかった。 

けれど。 

そんなことはほんの些細で、どうでもいいと思えてしまうほどの理由。 

高校を卒業するなり逃げるように実家を、内浦を飛び出して、お姉ちゃんから距離を取ったたった一つの理由。 


お姉ちゃんのことが、好きだから。 


三年生になった頃から、少しずつ少しずつ姉離れを試みてはみた。 

でも、私の心を少しだって変えてはくれなかった。 

お姉ちゃんが好きで、お姉ちゃんが大好きで、この気持ちはどうしようもなくって、ただただいたずらに距離が開いていくだけだった。

 

202ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 16:08:19.05ID:ak0imI9p

お姉ちゃんの近くにいては、もうだめなんだ。 

そう悟るのに時間は掛からなかった。 

顔を見れて、声を聞けて、手を繋げて、匂いを嗅げて、頭を撫でてもらえて、優しさを感じられて――そんななにもかもが届くところにいて、この気持ちを殺せるわけなんかなかった。 

姉離れをしなければいけないと、いつかお姉ちゃんは絶対的に誰かのものになるんだと、いくら言い聞かせても、逆効果にしかならなくて。 

それならば、もう、いっそのこと。 

お姉ちゃんのことが好きで好きで仕方ないこの感情が失われるのと同じくらいに、お姉ちゃん自身を傷付け、これ以上縛り付けてなにかを奪ってしまうのが嫌だったから。 

進路に迷いはなかったように思う。

 

203ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 16:09:40.02ID:ak0imI9p

上京してからの日々は、それはそれはつらかった。きつかった。 

毎晩お姉ちゃんのことを想って泣いた。 

感情が安定しなくて会社に行けなかったこと、早退するしかなかったことは、一度や二度じゃない。 

ゴールデンウィークに、お盆に、年末年始に…それどころかなんでもない三連休にもただの週末にも、なんなら金曜日に仕事帰りのその足で沼津へ向かう電車に飛び乗りたいという衝動と闘った。 

一年経って泣く夜が二日に一回になり、二年経って一日も欠勤しない月があるようになり、三年経って休日に友人と出歩けるようになった。 

高校時代はとりわけ仲良くしていたというわけでもないのに、花丸ちゃんがかなり頻繁に会いにきてくれたことも助けの一つになっていた。 

そうしてやっと一人きりの生活に慣れた頃、お姉ちゃんから手紙が届いた。 


『招待状』 


封を破るまでもなく一目でそれとわかる手紙を開けるのは、強い決心が必要だった。 

大丈夫、大丈夫、大丈夫…繰り返し自分に言い聞かせながら、無心で返事を書いて休みを申請して電車の手配をした。

 

204ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 16:12:31.03ID:ak0imI9p

そうして何年ぶりかに会ったお姉ちゃんは、変わらず優しくて、でも以前の何倍も綺麗になっていて―― 


ああ――やっぱり私はこの人のことが、好きで好きで仕方ない―― 


――数年間の必死の努力を無に帰すには、充分すぎた。 

……………… 

………… 

……

 

205ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 16:13:18.09ID:ak0imI9p

ダイヤ「――ルビィっ…」 


ギシッ 


大好きなお姉ちゃんの声。 


ダイヤ「…っ、ぁぁ……るび、やめなさ…」 


ギッ ギッ 


大好きなお姉ちゃんの匂い。 


ダイヤ「だめ、やめて……るびぃ…………」 


嫌なの。 


ダイヤ「ぃやぁ……っ、それ…もうっ……」 


嫌で嫌で仕方がないの。 


ダイヤ「――――――――っぁぁあああ!!」 


お姉ちゃんの初めてが、他の誰かに奪われてしまうなんて。 

***

 

206ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 16:14:17.86ID:ak0imI9p

ルビィ カリ… 

ダイヤ「…ルビィちゃん」 

ルビィ「…」カリ… 

ダイヤ「ルビィちゃんは、何歳になったの?」 

ルビィ「おねいひゃんの、ふたつひたらよ」カリ… 

ダイヤ「そうね。だったら、そろそろツメを噛むクセは治さなくてはね」 

ルビィ「…」カリ… 

ダイヤ「いつまでもこうしていられると思ってるの?」 

ルビィ「…だからだもん」カリ… 

ルビィ「…今日しか、ないんだもん」 

ダイヤ「……」 

ルビィ「おねいちゃあ、すき」 

ダイヤ「わたくしだって。誰よりもあなたのことが好きよ」ナデ 

ルビィ「えへへ…」カリ… 

ダイヤ「………ふふ」ナデ…ナデ…

 

207ぬし z9ftktNqPQ (秋と紅葉の楼閣)2018/07/29() 16:15:18.54ID:ak0imI9p

 

あなたのことが、誰よりも好きよ。 

この気持ちに偽りはないの。 

たとえなにを失い、手放し、裏切ることになるのだとしても―― 


ダイヤ「あなたの笑顔を失ってまで守りたいものなど、わたくしには一つだってないのだから」 



終わり